玉城朝薫の墓に行ってみた

こんにちは、Amiです。


さて今日は、ハローワーク・・には行かず、前々から探検してみたかった浦添市に行ってみました!!

2019年は、沖縄で組踊(くみおどり)が上演されて300年前の節目にあたります。

組踊とは、沖縄が琉球王国時代だった頃、中国から来る使者(冊封使)の接待の際に演じられたものです。日本本土の芸能を参考にして、琉球独自の芸能を加えています。この組踊を初めて制作したのが、玉城朝薫(1684-1734)という人物でした。

玉城朝薫(たまぐすく・ちょうくん)に関する詳しい紹介は国立劇場おきなわのページにあります^^

現在でも「国立劇場おきなわ」で組踊を鑑賞することができますよ!公演情報をチェックしてみてくださいね(⋈◍>◡<◍)。✧♡

では、玉城朝薫のお墓にレッツ・ゴー!!

玉城朝薫のお墓はどこにある?


浦添市前田にある前田トンネルの入り口(出口?)から登っていきます。アート引越センター(浦添市前田985-1)側にあるので、この住所を参考にしてみてください。

ちなみに、googlemapでは墓の位置が間違っています。注意してくださいね。

一番上の写真の向かって右側に小さな案内板が見えると思いますが、そこがお墓への入り口になります。

きちんと分かりやすい案内が出ているのですぐにわかると思います。

結構上まで上るのかな?と思いましたが、すぐに到着します。

階段を上るとこんな風景になりました。

キレイに手入れされていて、とても歩きやすい歩道が続きます。

するとそこに説明版が登場。

下に文章を引用します。

玉城朝薫の墓(邊土名家の墓)

玉城朝薫(1684-1734)は琉球独特の歌舞劇「組踊」の創始者です。朝薫の家系は代々玉城間切の総地頭職をつとめていたことから玉城を名乗りましたが、子孫の代に邊土名と家名が変わりました。

朝薫は中国からの冊封使を歓待するために踊奉行となり、この時に生み出された組踊は1719年に初めて首里城で演じられました。組踊は音楽・舞踊・所作・台詞で構成され、その制作には能や歌舞伎などの大和(日本)の芸能が影響したようですが、物語の内容は琉球の故事をもとにしています。朝薫の作った『二童敵打(にどうてきうち)』『執心鐘入(しゅうしんかねいり)』『銘苅子(めかるしぃ)』『女物狂』『孝行の巻』は、特に「朝薫の五番」と呼ばれ高く評価されています。組踊は2010年にユネスコの無形文化遺産リストに登録されました。

英語での表記もありました。

The Tomb of Tamagusuku Chokun

お墓に行くのはちょっと怖い、、と思う人もいるかもしれませんが、ここは大丈夫です!

一番上に前田トンネルの写真がありますが、そのトンネルの上にこのお墓があるので下を通る車も見えますよ^^女性一人でも大丈夫です。

玉城朝薫のお墓がこちらです。

神々しいです、、、

これは家ではありませんよ。亀甲墓(かめこうばか)と呼ばれるお墓のスタイルです。沖縄の南部圏ではこのようなお墓をたくさん見ることができます。

とてもキレイに整備されていて感動しました。

お墓の左側に下のような注意書きがあったので、管理は浦添市がやっているのかな?

こういう注意書き、大事です。

たま~に、スピリチュアルな人たちがこういうところで勝手に線香をあげたり、新しい拝所(香炉)を作ったりするので、すごく迷惑だなぁと思っていました。

こういう注意書きがあると、仮に新しい拝所を作られてもすぐに撤去できるので、大事だと思います。

スピ系な人たちを否定する気はありませんが、勝手に拝んだり拝所を作られて困っている地域の人たちを見てきたので、地域やその親族が困るようなことはしてほしくないな、というのが個人的な考えです。

ま、そんなものを作らず心で祈っていてくださいって思いますけどね。

ということで、今日は組踊300年の節目ということもあり組踊の祖である玉城朝薫のお墓に行ってみました。

このお墓がある前田地域は現在沖縄都市モノレールの延長工事が行われていて、少し道が通りづらいですが行ってみる価値ありです!駐車場はないので、ご注意を。私は近くのスーパーに停めて少し歩いていきましたよ^^

それでは、また。

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